Snow Queen 11

 

空を見ていた。

寮の窓からたなびく雲を、豊はすでに一時間以上もぼんやりと眺めている。

半眼になったその頭の中では、外からは想像できないほどめまぐるしい思いが渦を巻いて去来していた。

やはり、ダメなのだろうか。

自分はここの異分子でしかないのだろうか。天照と月詠は、相容れない間柄なのだろうか。

交歓留学は無駄なことだったのか。

自分と薙は―――どこまでいってもこのまま、分かり合うことなど、永遠に無いのだろうか。

春から随分と時間が過ぎていた。

季節はすでに秋の気配へと移行している。

雲は、いつでもそこにあり、いつでも雲だった。

長く伸びる見えない糸は、今では交じり合うことなど決してないようにすら思える。

溜息が漏れた。

豊は桟にかけてあった腕を組みなおし、俯いて顔をうずめた。

 

「あれ?」

エントランスへと向かう途中、立ち止まって首をめぐらせる。

本日は授業も終わり、月詠は下校時間となっていた。

定刻どおりに帰路に着くものなど殆どいないが、それでも進学校の名を冠する学院の生徒たちは廊下で無駄話などに興じたりはしない。

一様に足を速めて、勉強に、運動に、それぞれ目的の場所へとわき目も振らず移動している。

稀に少数派で談話に興じるものがいたとしても、数十分も話し込めばすぐ散会してしまう。

学院に訪れたばかりの頃は、夕暮れの日差しが教室内を照らすまでバカ話に大騒ぎしていた天照館での生活を懐かしんだりもしたが、今では月詠のこういった光景もそれほど異質と感じなくなっていた。

その、急いでいるはずの生徒達が皆一様に出入り口のほうを気にするような素振りをしている。

一体何を見ているのだろう。

同じように近づいて、エントランスから続く出入り口を除いた途端、豊はビクリと体を震わせていた。

「あっ」

そこにいたのは懐かしい、見覚えのある制服姿。

こんな場所ですら威風堂々とした姿勢を崩さない、頼もしい姿。力強い眼差し。

無造作に束ねた髪の、前髪を鬱陶しげに払い除けて、視線が不意に豊を見つけていた。

立ち止まったままの彼が瞠目していると、男は満面の笑みで親しげに声をかけてきた。

「豊!」

軽やかな足取りで駆け寄ってくる。

彼は、天照館高校総代、九条綾人。

喜びよりも先に、なぜという疑問詞が浮かんでいた。

「久しいな、豊」

眩しい笑顔は夏に再会した時とまったく変わっていない。

豊は少し気恥ずかしくて俯きかけたが、姿勢を正してしゃんと正面を見上げた。

「お久しぶりです、総代」

「よせよせ、こんな場所でまで堅苦しい呼び方をするな、九条でいい」

その物言いにすら癒される気がする。

冷たい月光の底に、ようやく温かな日差しが差し込んできたような、そんな思いがしていた。

「息災だったか?余り顔色が優れないように見えるが、体を壊してなどいないだろうな」

豊がつい笑ってしまうと、綾人はようやく安心したように軽く息を吐いた。

ポンポンと肩を叩かれて、不意に気遣うような表情を見せる。

「色々と、苦労しているようだな」

胸を突く言葉に、豊は思わず閉口する。

「すまない、豊」

「そ、そんな、九条先輩が気にするような事は、何も」

慌てて言いかけても、その先が続かない。

この人のせいでは無いとわかっていても、今はうまい言葉が何も浮かんではくれなかった。

しばらく様子を伺って、綾人が豊、と名前を呼んだ。

「はい」

「実はな、今日俺は―――お前に、頼みがあって、ここへ来たんだ」

「頼み、ですか?」

そうだと言って綾人は苦笑する。

「交歓留学の件でもう十分に苦労をかけているお前に、こんな事を頼むのは酷な事だと分かっているのだがな、お前以外、頼める者がいない」

辺りの空気が急に重くなったようだった。

豊はコクンと喉を鳴らした。

「何、ですか?」

「俺には今日、二つ目的があってここへ来た」

目の前に二本、指が立てられる。

「一つ目は豊、お前に会うこと」

「俺に?」

「そうだ」

綾人は不意に瞳を細くして、慈しむような視線を豊に向けた。

「―――親不知での事、俺にも非があったとはいえ、お前には本当に辛い思いをさせてしまった、だから一度様子をちゃんと知っておきたかったんだ」

転生十三連座のうちの一つ、親不知海岸であった出来事と、そこに連なる様々な思い出。

その時の心情を思い出して、豊は不意に瞳を伏せた。

綾人は、あの時月読と揉めた事しか知らない。

学院に戻った後、豊に何があったのか、どんな事をされたのか。

その一件がいまだに尾を引いていて、豊をこれほど苦しめていることも。

様子を察したらしい綾人は暫し無言だった。豊には、返す言葉が見当たらなかった。

「もう、一つの用件はな、豊」

降ってきた声に視線を戻す。

「実はその件に関して、お前の協力を仰ぎたいと思っているのだが」

「何ですか?」

「ああ」

言いよどみ、ためらって、綾人はようやく口を開いた。

 

「俺はな、豊、月読―――ペンタファングといったか、彼の者達と、対話するためにやってきたんだ」

 

豊は今度こそ、心から驚いてまじまじと目の前の姿を見詰めていた。

天照館高校総代は真摯な決意を秘めた眼差しで真っ直ぐ視線を返してくる。

にわかには信じがたい、唐突な申し出だった。

「そ、それは」

動揺を隠し切れず、どもりながら言葉をつなぐ。

「それは、天照館高校の総意、なのですか?」

「いや、俺の独断だ」

「そんな、無茶な」

「無茶は承知だ、だからこそ、お前に頼みたいといっている」

豊、お前は楔だと、綾人は両手で豊の肩をぐっと掴む。

「お前が交歓留学生としてこの地にいたからこそ、俺も決断することができた、お前は天照と月詠の架け橋になりうる人間だ」

「そんな、ことはっ」

豊は激しく首を振っていた。

「買いかぶりすぎです、総代、俺は、そんな風には―――」

実際、交歓留学生としての自分は何の役にも立ってはいなかった。

ペンタファングの一員として尽力してきたはずなのに、彼らは豊を受け入れたわけではなかった。

ただ天照から派遣されてきた異端分子として、仲間などではなく、便利な駒として。

正規メンバーに監視をさせつつ、利用していただけだ。この間の一件で事実は露見してしまった。

薙の、あの行為ですら、その一環に過ぎなかったのかもしれないと、今は思う。

それが何よりも一番辛くて、彼を思うだけで心が血を流すようだった。

「俺は、俺にはそんな力は、俺はここで何も出来なかった、何も」

「豊」

肩を掴む手の力が強まって、顔を上げると綾人は厳しい表情をしている。

「そんな物言いをするな、豊、お前は、ちゃんと役を果たしている、俺にはそれがわかる」

「違います、それは勘違いだ、俺は」

「豊っ」

強い声に、ビクリと体がすくむ。綾人は豊を見詰めていた。

「―――自分で、自分の道程を否定するな、お前の歩んだ道筋は正しかったのだと、お前が信じなくては本当に全ての意味が失われてしまうぞ」

「総代、でも、俺は」

「辛いからといって過去を否定する理由にはならないだろう、お前は、4月から今日までの日々を何もかも無駄と切り捨てたいのか」

―――そんなつもりはもちろんなかった。

豊も本当はわかっている。自分はただ九条綾人という大きな存在に甘えたいだけなのかもしれない。

天照館ではいつでも自分たちを守ってくれた、力強い彼のその眼差しに、全てをゆだねて。

自分の足元の闇すら払えない、どれだけあがいてみても、氷の牢獄から逃れることなど出来ない。

そんな辛さを人に押し付ければ、今までの日々は手の内から離れていってしまう。

それでも豊一人の力では前に進めそうもない。

苦しみは増えていく一方だったから、もうどうすることも出来なくなっていた。

綾人の気遣うような眼差しがじっと注がれていた。

「豊」

「―――はい」

「お前が手助けをしてくれれば、これほど力強いことは無い」

「でも、総代、俺は」

「お前が何を思い、どのような日々を過ごしてきたのか、俺には想像することしかできん、だがな、豊」

ペンタファングとの対話は、きっとお前のためにもなる。

静かな言葉だった。

「分かり合えないのなら、理解しようとすればいい、誠意は必ず伝わる、俺たちは、もっと互いを知る必要があるはずだ」

今日まで月詠で過ごしてきた、自分は、彼らを理解していただろうか。

不意にそんな想いが過って、鼓動を一つ高く鳴らす。

「頼む豊、俺を手伝って欲しい、お前が間に立ってくれれば彼らも心を開いてくれるだろう」

綾人の言葉に自信をもつことは出来なかったが、それでも暗闇に一筋の光明が差し込んだような思いがしていた。

もう一度、彼らと、今度は交歓留学や退魔などという理屈ぬきで、真っ直ぐ向き合いたい。

ペンタファングとはどのような人々なのか、月詠とは、そして―――飛河薙とは、どんな人なのか。

帰結する場所はいつも同じであるのに、今の豊にはそれに気付ける余裕がなかった。

だから、ただ素直に頷いていた。

綾人の力となることが、自分の現状打開にも通じると信じたから。

「―――わかりました、俺が、どれほどの役に立てるか分かりませんが」

綾人は真昼の太陽のように燦然と輝く笑顔で力強く頷き返してきた。

「頼む」

「はい」

豊が先導するように歩き出しながら、揃いの制服姿は白い空間を切り開いていった。